会社でも家庭でも大事な言葉

感謝の言葉があれば頑張れるのに
わたしは娯楽業の事務をしています。この職場はホールスタッフの出入りがものすごくあります。慣れた頃にスタッフが辞めたり事務手続きが完了したら辞めるので入社と退社手続きの繰り返しです。教える社員も大変そうなのはわかりますがわたしも大変です。「まだ?」と聞かれても・・・。「早く処理して」と言われても。
辞めてほしくないからとホールスタッフを社員は色々かばいます。
例えば社員とホールスタッフで些細なことで口ゲンカになります。
そのしわ寄せはなぜか事務に来ます。「なんか聞いてない?」「裏で何はなした?」
そうゆうの本当に嫌です。
伝言漏れがあると「なんで伝えてないの?」とか「逆にそんなことは事務員さんが話さないで」!とかホント意味がどうしたらいいのか。
社員がミスをしても事務員さんの伝え方がわからなかったとか聞いてなかったとか、メモ読んでないのはあなたでしょ?とツッコミたくもなります。
原因や解決案に事務員さんに注意しておくからとか聞くと「自分は一体なんなんだ?」と思います。わたしだって店にとって必要な仕事をしているのに誰もかばってくれず誰か1人でいいから「ありがとう」とか「助かった」と一言でいいから声をかけてほしいです。
わたしのたまった仕事に手伝いはありません。みんなで協力してのスローガンにわたしは含まれていないのか?と悲しくなります。
言葉って大事ですよね。
家族にすら大事にされない言葉
高校生の秋頃、私は事故にあった。軽トラックとの軽い接触ではあったが怪我はなく、それでも母親にはとても心配された。しかし、その事を聞いた父親は「ふーん、そう」と素っ気ない返事を返すだけだった。
数日後、私と接触した運転手が家に謝りに来た。
その運転手が慰謝料としてお金を父親に渡そうとすると「いえいえ、大丈夫ですよ。そもそも注意しなかった娘が悪いのですから」と、そう答えた。
結果的に慰謝料は受け取ったが父親は私が悪いとだけ言い、運転手の人と別の話で盛り上がっていた。父親は中型トラックの運転手をしている。そのためトラックからの視界が悪いことも死角があることも知ってはいる。それでもきちんと青信号を渡たった私だけが悪いと言うのは疑問を覚えた。もし私が怪我をしていたら、最悪亡くなっていたら父親はその運転手を怒っただろうか。許さなかっただろうか。
しかし私はそんな「もしも」や「こうだったら」よりも、少しでも父親に心配して欲しかったのかもしれない。「痛いとこはない?大丈夫?」と一言だけでもかけて欲しかったのかもしれない。
私に素っ気なく運転手に優しい父親を見て「ああ、私はこの人に大事にされていない」とこの時思った。
言葉を大事にできるピアカウンセラー
こんなふうにねぎらいの言葉や心配の言葉もなく、淡々とされているとどんどんやる気は下がっていきます。
それならば、そんな経験を活かして、人を元気づけてあげられるピアカウンセラーになりましょう。
職場でありがとうが足りてなさそうな人に一言ねぎらいの言葉をかけてあげれば、その人はもう一日頑張れるかもしれません。もしかしたら、命すら救われるかもしれません。
家族の中でも同じです。家族だから当然なんていうのは傲慢です。
家族だからこそ、大事にしあうのが家族です。
ねぎらいの言葉を家族にかけてあげられることがピアカウンセラーの始まりなのかもしれません。